聞くも恥ずかしい、淑女の尻拭い
世界史を紐解くと、大航海時代以後、西洋列国は挙って、東南アジアを植民地化した、風土病や戦争回避の為の干渉地、何も搾取する物が無い貧国を除く。キリスト教の布教を名目に、教会を建て、学校をたて、病院を建て、尼僧が教師を務め、看護婦もして居た。神に祈りを天を仰いで居る間に、足元の大地が外国人に買い漁られて居た。植民地とは?
植民地の統治形態には、以下のものがある。
・領事裁判権や租借地・租界設定条約による治外法権の確立。
・外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領。
・現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治。
・本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治。
・本国が外交と防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地。ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多い。
・自国領への併合(この場合も従来の現地住民について、市民権や国籍上の地位に区別が設定されたり、併合領土での立法・行政権など統治形態が異なとがある)
朝鮮は西洋列国も搾取出来る者が何も無かったので植民地化を断念した。日本も植民地化に進んで居たが、最後まで日韓併合に最後迄反対して居た、伊藤博文を安重根が暗殺して仕舞った。
李氏李氏朝鮮の人民の様子は、英国の旅行作家イザベラ・バードの朝鮮紀行に詳しく綴られている。
バードは本書の中で、1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している[2]。また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。道と言っても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」と記している[3]。
また、ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もなく、旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない、と驚き、孔子廟と碑を除くと公認の寺院がひとつもなく、城内に僧侶が入ると死刑に処せられかねないため、清や日本ならどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がソウルにはないとしている[4]。他方、金剛山の長安寺では「天国にいるような心地の二日間」を過ごすことができたと賞賛している。
ソウルの郊外に恥辱碑が在るが、何が書かれて居るかが重要で有る。
和議の内容
ホンタイジに三跪九叩頭の礼をする朝鮮王の仁祖(銅版レリーフ)
・朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。
・朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。
・王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
・清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
・内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
・城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。
・清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。
・清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。
・清国からの逃亡者を隠してはいけない。
・日本とは旧来通り、貿易を行うこと。
・清国に対して黄金100両・白銀1000両と20余種の物品(20余種の物品とは具体的には、清国に朝鮮人美女、牛、馬、豚など各々3000などの物品のこと) 毎年上納すること。(出典:朝鮮王朝実録 仁祖録 仁祖十四年一月二十八日)
貢女が牛や馬や豚並みに扱われて居る。
下関条約の第一条が重要で有る。
条約概説
1895年4月17日に調印された日清講和条約
1895年11月8日、三国干渉の結果、遼東還付条約に調印
主な内容
・清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)
・清国は遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)
・清国は賠償金2億テールを日本に支払う。(第四条)
・割与された土地の住人は自由に所有不動産を売却して居住地を選択することができ、条約批准2年後も割与地に住んでいる住人は日本の都合で日本国民と見なすことができる。(第五条)
・清国は沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。また清国は、日本に最恵国待遇を認める。(第六条)
・日本は3か月以内に清国領土内の日本軍を引き揚げる。(第七条)
・清国は日本軍による山東省威海衛の一時占領を認める。賠償金の支払いに不備があれば日本軍は引き揚げない。(第八条)
・清国にいる日本人俘虜を返還し、虐待もしくは処刑してはいけない。日本軍に協力した清国人にいかなる処刑もしてはいけないし、させてはいけない。(第九条)
・条約批准の日から戦闘を停止する。(第十条)
・条約は大日本国皇帝および大清国皇帝が批准し、批准は山東省芝罘で明治28年5月8日、すなわち光緒21年4月14日に交換される。(第十一条)
日韓併合当時、大日本帝国は大国清国を破り、列国露西亜帝国を破った、世界の一等国、大英帝国とも同盟を結んで居た。其の日本が世界の最貧国の朝鮮と対等な関係で条約を締結調印された。全世界は嘲笑の坩堝と化して仕舞った。先に大日本帝国は諸国に併合の是非を大使を送り確認した。後年世界の法律学者がハーバード大学に集い違法性の是非を議論して、是とする決議をした。
条約公布に際し大韓帝国皇帝(純宗)が公布した勅諭
韓国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
朝鮮王朝実録/純宗実録/3年
邦訳
皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。
此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。
朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。
隆煕四年八月二十九日 御璽[1]
(5)韓国併合に関する条約(1910.8.22調印、8.29公布)
日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下は両国間の特殊にして親密なる関係を顧ひ相互の幸福を増進し東洋の平和を永久に確保せむことを欲し此の目的を達せむか為には韓国を日本帝国に併合するに如かさることを確信し茲に両国間に併合条約を締結することに決し之か為日本国皇帝陛下は統監子爵寺内正毅を韓国皇帝陛下は内閣総理大臣李完用を各其の全権委員に任命せり因て右全権委員は合同協議の上左の諸条を協定せり
第1条 韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す
第2条 日本国皇帝陛下は前条に掲けたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す
第3条 日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其の后妃及後裔をして各其の地位に応し相当なる尊称威厳及名誉を享有せしめ且之を保持するに十分なる歳費を供給すへきことを約す
第4条 日本国皇帝陛下は前条以外の韓国皇族及其の後裔に対し各相当の名誉及待遇を享有せしめ且之を維持するに必要なる資金を供与することを約す
第5条 日本国皇帝陛下は勲功ある韓人にして特に表彰を為すを適当なりと認めたる者に対し栄爵を授け且恩金を与ふへし
第6条 日本国政府は前記併合の結果として全然韓国の施設を担任し同地に施行する法規を遵守する韓人の身体及財産に対し十分なる保護を与へ且其の福利の増進を図るへし
第7条 日本国政府は誠意忠実に新制度を尊重する韓人にして相当の資格ある者を事情の許す限り韓国に於ける帝国官吏に登用すへし
第8条 本条約は日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下の裁可を経たるものにして公布の日より之を施行す
右証拠として両全権委員は本条約に記名調印するものなり
明治43年8月22日 統監子爵 寺内正毅
隆煕4年8月22日 内閣総理大臣 李完用
大日本帝国は敗戦に因る撤収迄の三十五年間で血税80兆円を持ち出し、壱百の廣施を行い、壱千年の怨みを買って仕舞った。路上脱糞を禁じて仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。人口を弐倍にして、壱千年の怨みを買った仕舞った。道路を拡張し、鉄道を敷き、鉄橋を掛け、レンガ作りの駅舎建てた為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。禿山に植林をした為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。溜池を作り、灌漑をし、新田を開墾し、治水を行って、壱千年の怨みを買った仕舞った。身分制度を廃止し、奴婢を開放して仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。残酷な刑罰や拷問を廃止し、裁判制度を改善し、弁護士を育成し、レンガ作りの近代的な刑務所を建て仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。病院を建て、上下水道を整備し、衛生環境を改善し、防疫に努め、寿命を延ばし、人口を倍にして仕舞って、壱千年の怨みを買った仕舞った。学校を建て、ハングルを普及させ、文盲を無くして仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。港を浚渫し、灯台を建て、交易を盛んにして仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。ダムを造り、水力発電所を建て、電力を供給し、工場を動かし、街燈を灯し、市電を入らして仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。百貨店を建て婦女子も自由に買い物が出来る様にして仕舞って、壱千年の怨みを買った仕舞った。銀行ヲ建て、貨幣制度を改善し、紙幣を発行して仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。殖産興行をした為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。富国強兵をして仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。神社を建て祭りを開いて仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。運動会やスケート大会やテニス大会を開いて仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。徴用工を募集して仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。女子勤労挺身隊を募集して仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。慰安婦を募集して仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。帝国大学を創立して仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。創氏改名を居て仕舞った為に、壱千年の怨みを買った仕舞った。・・・
韓国の外貨ドルやユーロが少なく成って来て居る、枯渇すると交易が出来無い。救えるのはドルのFRBで有るが、国際条約や、国際協定を無視する国は援助を受け難い、韓国は社会主義化して仕舞って居る。韓国を救える通貨は中国の人民元でも、ロシアのルーブルでも無い。日本の円しか無いのに、反日がしたい、反日を已めれば、紙屑に成るウォンともスワップ協定を平気でスワップ協定を結ぶお人好しの国で有るのに、経済破綻させても反日がしたい。経済破綻の韓国と禁輸制裁を喰らって居る最貧国の北朝鮮が併合して高麗連邦の民族統一が実現しても、亡国の未来しか無い。何やら悪い予感がする、其の尻拭いを日本がさせられそうである。
徴用工訴訟が国際司法裁判所に提訴されると韓国法の事後法、法律の遡及が問題に成る。日韓併合条約、日韓基本条約・日韓賠償権協定無視が問題と成る。徴用で無く、募集に応募した外地労働者で有る事が既に分かって居る。慰安婦像も朝鮮戦争時代に米軍の装甲車に轢かれた二人の少女の慰霊の像の一体を慰安婦像に転用した物。最近元従軍慰安婦の一人が亡くなられ、国葬クラスの葬儀が日本大使館前の路上で行われて、仲間の、元従軍慰安婦の一人が弔辞を述べた「当時は爆弾が降り注ぐ中を逃げ廻る大変な時代で有った・・・」何時の時代の何処の国の話やら。朝鮮戦争時代の記憶の混同も有る。