대청황제공덕비 大清国之聖汗之功徳之碑
歷史
1636年,清朝的皇太極入侵朝鮮,擊敗朝鮮軍隊。朝鮮仁祖前往南漢山城避難。後來仁祖被迫向清朝投降,願為清朝的藩屬國,史稱「丙子胡亂」。次年,皇太極要求朝鮮建立一座功コ碑,以頌揚滿清皇帝的功績。在清朝的壓力下,仁祖被迫同意了,大清皇帝功コ碑於1639年豎立於當年皇太極受降的三田渡地區。碑文用滿文、蒙古文和文言漢文寫成,正面為滿文和蒙古文,背面為漢文,其內容大致相同。漢文版本為朝鮮官員李景奭撰寫,其他兩種語言的版本應是由漢文版本翻譯而成。此后,每当清朝敕使到达朝鲜,都会前往三田渡,拜谒大清皇帝功コ碑。
清朝人认为三田渡碑对朝鲜伏属清朝的统治起着很好的效果,康熙帝便曾说:“此等地方,太宗文皇帝定朝鲜之役,我兵无处不到。以已破之国,我朝为之重加营建,俾安堵如故。是以其国人于太宗文皇帝驻军之地树立石碑,备书更生之コ。”[1]然而,自从三田渡碑的竖立以来,朝鲜人便一直视该碑为耻辱碑,一直有人试图破坏。比如在1640年,全罗、庆尚两道儒生因反对朝鲜送舟师助清伐明而不受采纳,便扬言要捣毁三田渡碑。[2]此后朝鲜专门定军守直碑阁,直到1895年拆除为止。
1895年,清朝在甲午戰爭中被日本打敗。清、日簽訂了《馬關條約》,承認朝鮮與清朝脫離藩主關係。此後,开化党掌權者拆毀了迎恩門,並推倒了三田渡碑,此碑埋入地下。1931年掘出,1956年,韓國文化部長和教育部長認為此碑是民族恥辱的象徵,再次將其埋入地下。1963年,因洪水的肆虐,三田渡碑再度出現在人們眼前。人們認為此碑作為文化遺產和民族恥辱的象徵應該銘記,所以將之當作史跡保護起來。1983年,漢城市在該碑周圍建立公園。
2007年2月3日,也就是丙子胡亂後的370年,三田渡碑遭到韓國民族主義者的破壞。破壞者用紅色油漆在碑的正面寫上「철」(諺文「撤」)、「370」,背面寫上「거」(諺文「去」)、「병자」(諺文「丙子」)。27日,39歲的犯人朴氏被捕。此人曾在當年1月因為甲午農民戰爭的原因破壞了古阜郡守趙秉甲建立的石碑,他聲稱對韓國政府處理「恥辱碑」的做法非常不滿,認為該碑應該撤去,或者轉移到其他地方去。6月15日,石碑修復完成。
2008年,韓國對三田渡碑原來的位置進行考證,文化財廳決定將碑移到樂天世界大樓後面、松坡區蚕室洞47號石村湖水西湖東北方向的穀n上。原石碑基座下修建的、描繪朝鮮仁祖向皇太極行三跪九叩之禮的銅板,文化財委員會認為沒有文物價值,將其撤去。
朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。
朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。
王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。
清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。
清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。
清国からの逃亡者を隠してはいけない。
日本とは旧来通り、貿易を行うこと。
清国に対して黄金100両・白銀1000両と20余種の物品(20余種の物品とは具体的には、清国に朝鮮人美女、牛、馬、豚など各々3000などの物品のこと)を毎年上納すること。(出典:朝鮮王朝実録 仁祖録 仁祖十四年一月二十八日)
清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)
清国は遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)
清国は賠償金2億テール[注釈 4]を日本に支払う。(第四条)
割与された土地の住人は自由に所有不動産を売却して居住地を選択することができ、条約批准2年後も割与地に住んでいる住人は日本の都合で日本国民と見なすことができる。(第五条)
清国は沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。また清国は、日本に最恵国待遇を認める。(第六条)
日本は3か月以内に清国領土内の日本軍を引き揚げる。(第七条)
清国は日本軍による山東省威海衛の一時占領を認める。賠償金の支払いに不備があれば日本軍は引き揚げない。(第八条)
清国にいる日本人俘虜を返還し、虐待もしくは処刑してはいけない。日本軍に協力した清国人にいかなる処刑もしてはいけないし、させてはいけない。(第九条)
条約批准の日から戦闘を停止する。(第十条)
条約は大日本国皇帝および大清国皇帝が批准し、批准は山東省芝罘で明治28年5月8日、すなわち光緒21年4月14日に交換される。(第十一条)
調印
大日本帝国全権弁理大臣伊藤博文(内閣総理大臣)
大日本帝国全権弁理大臣陸奥宗光(外務大臣)
大清帝国欽差頭等全権大臣李鴻章(北洋大臣直隷総督)
大清帝国欽差全権大臣李経方(欽差大臣)
影響
伊藤博文全権が起草・調印したこの条約によって李氏朝鮮は清の冊封体制から離脱して大韓帝国となり、第26代の高宗が中国皇帝の臣下を意味する「国王」の称号を廃して、はじめて皇帝と称することとなった[要出典]。
後にロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉が起こった。
開港開市の規定などについては、英仏などの欧米列強は既に最恵国待遇を得ていたので、日本も同じ恩恵に与ることが出来た。
なお賠償金のテール(両)は、1テール=37.3gで2億両(746万kg相当)の銀払いだった。その後の三国干渉による遼東半島の代償の3000万両(111.9万kg)を上乗せして合計857.9万kg(現在価値(2011.4 日中銀取引相場価格)で銀1kgが12万円程度なので、1兆294億円前後。当時価格で日本の国家予算8000万円の4倍強の3億6000万円前後、現在の43兆円前後となり、当時の国家予算の4倍であることから日本の現在の国家予算を年100兆円と考えると400兆円前後にあたる)以上の銀を日本は清国に対して3年分割で英ポンド金貨で支払わせた。日本はこれを財源として長年の悲願だった金本位制への復帰を遂げた。一方賠償金の支払いは清国にとって大きな負担になり、清国は更に弱体化した。
第一條:中國確認朝鮮國為獨立自主國家,朝鮮對中國的朝貢、奉獻、典禮永遠廢止。
第二條:下列地方之城壘、兵器製造所及國有物永遠讓與日本。一、遼東半島。二、臺灣全島及所有附屬各島嶼。 三、澎湖群島,即英國格林尼次東經百十九度起至百二十度止、北緯二十三度起至二十四度之間諸島嶼。
第三條:兩國各選派官員依據粘附本約之地圖,共同踏勘並確定遼東半島之劃界。
第四條:中國支付日本賠款2億兩白銀(約3億日圓)。
第五條:割讓土地內居民能任聽其遷移界外與變賣資產,唯條約批准2年後該地的居民酌宜視為日本臣民。
第六條:中國開放沙市、重慶、蘇州、杭州等口岸,及認可日本最惠國待遇。允许日本人在中國通商口岸设立领事館和工厂及输入各种机器。
第七條:日本在3個月以內撤回中國領土內之日軍。
第八條:中國承認日本佔領山東省威海衛三年,待中國還清賠款後才交還,如果費用支付不全,日軍不撤回,日軍軍費由中國負擔。
第九條:中國對日本人俘虜,不可虐待處刑,也不可對協助日軍的中國人士處刑。
第十條:條約批准日開始,停止交戰。
第十一條:條約由中日兩國批准,日本明治28年(1895年)5月8日,清光緒二十一年四月十四日生效。
皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。
此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。
朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。
隆煕四年八月二十九日 御璽[1]
한국 황제 폐하와 일본국 황제 폐하는 두 나라 사이의 특별히 친밀한 관계를 고려하여 상호 행복을 증진시키며 동양의 평화를 영구히 확보하자고 하며 이 목적을 달성하고자 하면 한국을 일본국에 병합하는 것이 낫다는 것을 확신하고 이에 두 나라 사이에 합병 조약을 체결하기로 결정하였다.
이를 위하여 한국 황제 폐하는 내각 총리 대신(內閣總理大臣) 이완용(李完用)을, 일본 황제 폐하는 통감(統監)인 자작(子爵) 사내정의(寺內正毅, 데라우치 마사타케)를 각각 그 전권 위원(全權委員)으로 임명하는 동시에 위의 전권 위원들이 공동으로 협의하여 아래에 적은 모든 조항들을 협정하게 한다.
한국 황제 폐하는 한국 전체에 관한 일체 통치권을 완전히 또 영구히 일본 황제 폐하에게 양여함.
일본국 황제 폐하는 앞조항에 기재된 양여를 수락하고, 완전히 한국을 일본 제국에 병합하는 것을 승락함.
일본국 황제 폐하는 한국 황제 폐하, 태황제 폐하, 황태자 전하와 그들의 황후, 황비 및 후손들로 하여금 각기 지위를 응하여 적당한 존칭, 위신과 명예를 누리게 하는 동시에 이것을 유지하는데 충분한 세비를 공급함을 약속함.
일본국 황제 폐하는 앞 조항 이외에 한국황족 및 후손에 대해 상당한 명예와 대우를 누리게 하고, 또 이를 유지하기에 필요한 자금을 공여함을 약속함.
일본국 황제 폐하는 공로가 있는 한국인으로서 특별히 표창하는 것이 적당하다고 인정되는 경우에 대하여 영예 작위를 주는 동시에 은금(恩金)을 줌.
일본국 정부는 앞에 기록된 병합의 결과로 완전히 한국의 시정을 위임하여 해당 지역에 시행할 법규를 준수하는 한국인의 신체 및 재산에 대하여 전적인 보호를 제공하고 또 그 복리의 증진을 도모함.
일본국 정부는 성의충실히 새 제도를 존중하는 한국인으로 적당한 자금이 있는 자를 사정이 허락하는 범위에서 한국에 있는 제국 관리에 등용함.
본 조약은 한국 황제 폐하와 일본 황제 폐하의 재가를 받은 것이므로 공포일로부터 이를 시행함.
위 증거로 삼아 양 전권위원은 본 조약에 기명 조인함.
융희 4년 8월 22일 내각총리대신 이완용
메이지 43년 8월 22일 통감 자작 데라우치 마사타케
日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ハ両国間ノ特殊ニシテ親密ナル関係ヲ顧ヒ相互ノ幸福ヲ増進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ此ノ目的ヲ達セムカ為ニハ韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲ニ両国間ニ併合条約ヲ締結スルコトニ決シ之カ為日本国皇帝陛下ハ統監子爵寺内正毅ヲ韓国皇帝陛下ハ内閣総理大臣李完用ヲ各其ノ全権委員ニ任命セリ因テ右全権委員ハ会同協議ノ上左ノ諸条ヲ協定セリ
第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス
第二条 日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス
第三条 日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応シ相当ナル尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スヘキコトヲ約ス
第四条 日本国皇帝陛下ハ前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ各相当ノ名誉及待遇ヲ享有セシメ且之ヲ維持スルニ必要ナル資金ヲ供与スルコトヲ約ス
第五条 日本国皇帝陛下ハ勲功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ為スヲ適当ナリト認メタル者ニ対シ栄爵ヲ授ケ且恩金ヲ与フヘシ
第六条 日本国政府ハ前記併合ノ結果トシテ全然韓国ノ施政ヲ担任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身体及財産ニ対シ十分ナル保護ヲ与ヘ且其ノ福利ノ増進ヲ図ルヘシ
第七条 日本国政府ハ誠意忠実ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相当ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓国ニ於ケル帝国官吏ニ登用スヘシ
第八条 本条約ハ日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ノ裁可ヲ経タルモノニシテ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
右証拠トシテ両全権委員ハ本条約ニ記名調印スルモノナリ
조선이 몇 해를 청나라의 속국으로 있다가 하나님 덕에 독립이 되어 조선 대군주 폐하께서 지금은 세계의 제일 높은 임금들과 동등이 되시고, 조선 인민이 세계에서 자유로운 백성이 되었으니, 이런 경사를 그저 보고 지내는 것이 도리가 아니요, 조선 독립된 것을 세계에 광고도 하며, 또 조선 후생들에게도 이때에 조선이 분명하게 독립된 것을 전하자는 표적이 있어야 할 터이요. 또 조선 인민이 양생을 하려면 맑은 공기를 마셔야 할 터이요, 경치 좋고 맑은 데서 운동도 하여야 할지라.
朝鮮が何年も清国の属国であったが、神様の恩恵で独立され、朝鮮大君主陛下が今は世界の首脳と同等な立場となり、朝鮮人民が世界にまたがる自由な人になったがゆえに、このようなめでたいことを無視するのは道理ではない。朝鮮が独立したことを世界に知らせ、また朝鮮の後生に、この時から朝鮮が永遠に独立したことを伝えるためにも表迹(表象)が必要であり、また朝鮮人民が養生するには新鮮な空気を吸い、景色が良く静かな場所で運動をすべきである。慕華館に新しく独立門を建て、その周辺を公園にして千秋万歳自主独立した公園であると伝える志である。
第二条
両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの
2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。
제2조
양 체약국은 양 체약국 및 그 국민(법인을 포함함)의 재산, 권리 및 이익과 양 체약국 및 그 국민간의 청구권에 관한 문제가 1951년 9월 8일에 샌프란시스코에서 서명된 일본국과의 평화조약 제4조 (a)에 규정된 것을 포함하여 완전히 그리고 최종적으로 해결된 것이 된다는 것을 확인한다.
본조의 규정은 다음의 것(본 협정의 서명일까지 각기 체약국이 취한 특별조치의 대상이 된 것을 제외한다)에 영향을 미치는 것이 아니다.
(a) 일방체약국의 국민으로서 1947년 8월 15일부터 본 협정의 서명일까지 사이에 타방체약국에 거주한 일이 있는 사람의 재산, 권리 및 이익
(b) 일방체약국 및 그 국민의 재산, 권리 및 이익으로서 1945년 8월 15일 이후에 있어서의 통상의 접촉의 과정에 있어 취득되었고 또는 타방체약국의 관할하에 들어오게 된 것.
2의 규정에 따르는 것을 조건으로 하여 일방체약국 및 그 국민의 재산, 권리 및 이익으로서 본 협정의 서명일에 타방체약국의 관할하에 있는 것에 대한 조치와 일방체약국 및 그 국민의 타방체약국 및 그 국민에 대한 모든 청구권으로서 동일자 이전에 발생한 사유에 기인하는 것에 관하여는 어떠한 주장도 할 수 없는 것으로 한다. - 재산 및 청구권에 관한 협정